セルビアの水害と「親日国セルビア」

 先日のセルビアボスニアにおける水害へのエントリには多くの反響をいただきました.たくさんの方に情報を広めていただき,中には実際に寄附してくださった方もいらっしゃいます.おかげで日本からセルビアには多くの寄附が現在進行形でなされているようです.セルビア在住者としてお礼申し上げます.わたしも些少ですが街中の募金箱に寄附を入れたり,チャリティのバザーで買い物をしたりしました.

 ベオグラド大学は1週間休講となりました.多くの学生が支援運動に携われるようにという理由のようで,哲学部や文学部の前では多くの学生たちが義捐金や支援物資の受付に携わる姿が見られました.写真は哲学部前の光景です.食糧や衣服が学生たちの手によって大学内に搬入され,そこから被災地に運ばれたようです.

 街中には現在でも募金箱が多く置かれています.写真は,昨日撮影した,ミハイロ公通りが共和国広場にぶつかる辺りに設置されている巨大募金箱です.この募金箱は年末にも同じ場所に設置され,コソヴォに住むセルビア人の子供たちのための寄附を募っていました.募金箱の側面には大きく「見てないで何かしろ!」と書かれています.


 さて,日本においてセルビアへの支援を訴える初期のメッセージの多くは,セルビア在住者や在住経験者などから発せられました.わたしもそのひとりだったわけですが,そのメッセージの中に「親日セルビア」というような表現が多く見られたことが,わたしには気にかかります.もちろん,そのメッセージを発したひとたちがかわりに別の何かを貶める意図を持っていたとはわたしは思いません.実際にセルビアのひとたちはとても親切ですし,日本から来たと言うと「セルビア人と日本人は友達だ!」「われわれは兄弟の国民だ!」と言われたこともあります.わたしも,セルビアの日本への支援に感謝する気持ちを込めて前エントリを書きました.ですが,そのようなセルビアの状況を「親日国」という言葉で形容するとき,日本語の言語空間では,それは「反日国」と対置された表現になってしまわないでしょうか.世界を「親日反日」で区切る思考法の陥穽に知らず知らずのうちに嵌まってしまうのではないか――セルビアに恩義と友情を感じるからこそ,官民で流通するそのような表現には敏感でありたいと思います.