コンテンツ文化史学会での研究報告「魔法少女は偽史を紡ぐ――『ストライクウィッチーズ』における歴史の取捨選択」

 遅ればせながら,9月7日のコンテンツ文化史学会第2回例会「テレビ文化の歴史と表象としての少女――『魔法少女』をめぐって」での発表無事終わりました.わたしの報告題目は「魔法少女偽史を紡ぐ――『ストライクウィッチーズ』における歴史の取捨選択」.実はこれが初めての査読付き学会報告でした.幸いにしてそれなりに好評だったので嬉しい限りです.内容はいずれ機関誌『コンテンツ文化史研究』に投稿しますが,概要を述べておくと,『ストライクウィッチーズ』という作品の世界観において史実のどのような部分が改変されているかに目を向け,それは「鬱展開を避けたい」という魔法少女アニメゆえの理由によって「紛争を引き起こすもの」と見なされた存在が予め除去されているからなのではないのか? だとしたら本作は「魔法少女」ものであるがゆえに無邪気な偏見を露呈させているのではないか? と様々な資料をもとに論じ,そこからさらに踏み込んで,「魔法少女」ものがその世界を成り立たせるために,現実世界から何を捨てて何を取り入れているかに目を向けた方がよいのではないか? という問題提起をしたものです.

 同日の報告についてもちょっと感想を書いておきます.

 大橋崇行氏の「何が〈少女〉を惹きつけたのか――『魔法の天使クリィミーマミ』の視聴者ジェンダー」は,「魔法少女」の先駆的存在『魔法の天使クリィミーマミ』をめぐる同時代言説を検討し,女性向け作品として作られて連綿と受け継がれてきた「魔女っ子」ジャンルの中から男性視聴者が自分たちの視点のみから「魔法少女」を切り取って男性の言説の中で消費してきたことを指摘し,男性中心の「オタク文化」語りにおいて女性の視点が排除されていると論じました.そして議論は明治期へと遡り,日本の子供向け文化に特徴的な「性別隔離文化/メディア」(「男の子のもの」と「女の子のもの」が厳然と分かたれる)の中でみられる「男の子=ファンタジーやSF」「女の子=恋愛ものなど現実に密着したもの」という二分法が実は明治20年代に登場したものであり,明治10年代まではまるっきり逆の編成(すなわち「男性=人情本,洒落本」「女性=伝奇」)がなされていたこと,その転換の背景には当時西欧で流行していた社会心理学の知見が反映されていたことを指摘し,「魔女っ子」アニメの「近代性」を論じました.これは非常に鮮やかかつ刺激的な議論であり,「魔法少女」ものの古層というものを考える上では欠かせない視点になるのだろうと思います.その上で氏は,(1)「男性中心に編成される〈オタク文化〉語りに正統性はあるのか?」,(2)「旧来の女性ジェンダーから語られる〈魔法少女〉はそのようなジェンダーが構築されてきた歴史を無視しているのではないか?」という2つの問題提起を行いました.とても面白い報告でした.

 三宅陽一郎氏の「魔法少女アニメにおける物語の構造とその進化」 は,「魔法少女」アニメの構造を,ロボットアニメと対比させながら論じるもので,物語論として非常に興味深かったです.魔法少女アニメにおいて「周囲の人間関係を適正配置する」ことが目標とされているという指摘は笑いました.プリキュアシリーズが「二人の魔法少女」という図式(『ふたりはプリキュア』『ふたりはプリキュアSplash☆Star』)から,物語のマンネリ化を防ぐために「戦隊もの」図式(『Yes!プリキュア5』『フレッシュプリキュア!』)へと変遷し,さらには初期のプリキュアの良さと戦隊ものの良さを合体させた図式(『ハートキャッチプリキュア!』『スイートプリキュア♪』)に至って,現在はシンプルな図式(『スマイルプリキュア!』『ドキドキ!プリキュア』)に回帰しているという議論はとても鮮やかだと思いました.

 総合討論の最後に,「魔法少女」研究の今後の方向性などについて登壇者に意見を求められたので,以下のようなことを言いました.

「今回の報告では,『典型』や『王道』という言葉が何度も出て来た.だがそもそも,その『典型』や『王道』という認識それ自体が問われねばならないだろう.『典型や王道はこういうものだ』と論じるよりも先に,なぜそれが『典型』や『王道』と見なされるようになったのか,を,今日大橋さんがやってみせたように,歴史学的・社会学的手法から研究していくことが望まれるのではないか.まあ僕はやりませんが」

 こうやって発言しながら,やっぱり自分はブルーベイカー門徒なんだなあ,と思った次第です.