修士論文提出しました&学振落ちました

 思い立ってブログを開設してみることにして,最初のブログ記事は「学振落ちました」にしようと思っていたのですが,結果発表からズルズルと時が過ぎてこんな時期になってしまいました.

 ということで,先日,専攻に修士論文を提出しました.題目は「『モンテネグロ語』の創出:ユーゴスラヴィア解体以降のナショナリズム・言語計画・言語イデオロギー(1992-2011)」です.順調にいけば,3月には「修士(欧州研究)」の学位を授与されます.内容としては,4月に東欧史研究会で報告した「『モンテネグロ語』の形成:ユーゴスラヴィア解体以降のナショナリズムと言語計画,1992〜2011」を大幅にヴァージョンアップしたものになります.

 現代史をやろうとして院に入ったつもりが,気付いたらもはや歴史ではない現代のことをやることになっていました.博士課程ではもうちょっと古い時代(といっても20世紀後半ですが)を扱って,「歴史」に回帰したいなぁ,なんてことを思います.これでも一応,「学士(歴史学)」なので…….

 修論は,さわりだけを話すならば,旧ユーゴスラヴィアが崩壊すると,ユーゴで広く使われていた「セルビアクロアチア語」という言語もまた分裂し,「セルビア語」「クロアチア語」「ボスニア語」そして「モンテネグロ語」を名乗り始めた……という変化を,政治的観点から分析したものになります.

 「セルビア語」や「クロアチア語」については,「セルボ・クロアチア語」「セルビアクロアチア語」という名前で聞き憶えがある方も多いと思いますが,「ボスニア語」や「モンテネグロ語」が出てきた時の衝撃というか訝しみは,旧ユーゴを知っている世代の人びとにとっては大きかったようです(最近は「ブニェヴァツ語」や「ゴーラ語」まで出てきていますが……).「ボスニア語」の創出についての日本語での先駆的な業績というのは齋藤厚氏の「『ボスニア語』の形成」(『スラヴ研究』第48号,2001年)があったのですが,「モンテネグロ語」についてはそれを専門的に扱った研究は日本語ではわたしの知る限りではありませんでした(三谷惠子氏や山崎信一氏らによって簡単に紹介されてはいます).おそらくはこの修論が,日本で最初の「モンテネグロ語」をテーマにした論文になるのでしょう.もちろん海外では,Robert Greenbergをはじめとして,Andrea Trovesiなどの研究者が論じていることではあるのですが.

スラヴ語入門

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ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化 (世界のことばと文化シリーズ)

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Language and Identity in the Balkans: Serbo-Croatian and Its Disintegration

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 東欧史研究会で叮嚀なコメントをくださった皆様,ゼミで的確なご指摘をくださった皆様,そして丹念に草稿をチェックしてくださったYさん,研究の根幹に関わることを議論してくださった指導教官のN先生,ほんとうにありがとうございました.修論に謝辞は書いていませんので,この場を借りて御礼申し上げます.

 次の目標である査読誌への掲載に向けて,尽力していきたいと思います.

 さて,もう何ヶ月か前の話になりますが,日本学術振興会特別研究員(DC1)の審査に応募して,みごとに落選しました.ダメ元だ,ダメ元だと言い聞かせていたのですが,やはり「不採用」の文字列を見た時は気落ちしたものです.来年以降の採用を期していっそう研究したいと思います.

 ここで学振川柳を一句.

 ダメ元と わかっていても 落ちる肩

 お粗末様でした.