5月4日はティトの命日

 ということで,ティトの墓地である「花の家」に行ってきたところ,本日は入場料無料でした.多くの高齢者が訪れ,ユーゴスラヴィア時代を懐かしんでいるさまが印象的で,なかにはティトのコスプレをしている方もいるほどです.また,高齢者が孫と思しき少年にユーゴスラヴィアの国旗を持たせて“英才教育”を施していたのも興味深かったです.というわけで写真を何枚か.





 手前にあるのは,わたしがベオグラドに来た直後くらいに亡くなった,ティトの妻・ヨヴァンカの墓です.

論文“The Making of ‘Montenegrin Language’”が出ました

 ドイツで出版されている電子ジャーナルSüdosteuropäische Hefte(『南東欧論集』)の第4巻1号に,論文“The Making of ‘Montenegrin Language’: Nationalism, Language Planning, and Language Ideology after the Collapse of Yugoslavia (1992-2011)”が掲載されました.同論文は以下のホームページからダウンロードできます.

 Südosteuropäische Hefte, Jg. 4, Nr. 1 |

 正確な書誌情報は,

  • Nakazawa Takuya, “The Making of ‘Montenegrin Language’: Nationalism, Language Planning, and Language Ideology after the Collapse of Yugoslavia (1992-2011),” Südosteuropäische Hefte 4:1 (2015): 127-141.

です.本稿は匿名の査読者による査読を経ています.

 本稿は,修士論文を圧縮して英訳したという性質を持ちますが,いくつか細かな情報をアップデートし,加えて原論文にあった誤りを訂正しています.特に大きな間違いとして,ノヴィ・サード合意の年号を1957年としていたのを1954年に直してあります.どうしてこんなミスをしてしまったのか自分でもわかりません.英語版の査読者に指摘されてようやく気づきました.修士論文に基づいた日本語論文2本にもこの誤りは踏襲されてしまっているため,この場を借りて訂正しておきます.本当にお恥ずかしい限りで,穴があったら入りたい気持ちでいっぱいです.

 英語がとても拙く,正直見苦しいところも多々あると思いますが(校正を頼んだ友人に笑われました),ご笑覧いただければ幸いです.

色々なナショナリズムのかたち

 半年以上もご無沙汰してしまっていてすみません.なんとか某学会の報告申し込みが受理され,今史料を集めたり文献を読み込んだりしています.

 さて,更新をサボっているあいだにこちらではいくつもの大きな出来事があり,すべてご報告しようかとも思ったのですが怠惰ゆえに年末になってしまいました.この間の出来事をいくつか.

サライェヴォ事件100周年

 2014年6月28日はサライェヴォ事件から100周年だったので,こんな機会を見逃すわけにいかないということで当日サライェヴォに行ってきました(そうしたら現地取材をしていた日本メディアの知人とばったりお会いして,なんとも狭い世界だなあと嘆息したり).スルプスカ共和国側の寂れた東サライェヴォからボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦側の賑わうサライェヴォに入ると,カトリックの大聖堂前にはこんな展示が.

 暗殺現場には当時を再現した車輌が置かれ,フランツ・フェルディナントの扮装をした青年が記念撮影に応じていました(わたしも撮ってもらったのですが,ここに上げる勇気はありません).史実の皇位継承者はこんな白皙の美青年ではなかったはずですが,もちろん誰も気にしておらず,特に女性方に好評のようでした(お金を払うと車に乗せてもらえてゾフィー妃気分を味わえるオプション付き).

 「戦争の世紀から平和の世紀へ」――そんな垂れ幕があちこちに掲げられ,平和を祈念する展示がいくつも開かれ(もちろん「ヒロシマ」もありました),戦争の発端となった都市サライェヴォは平和を謳歌しているように見えます.しかし,それは,誰を記念するか? という次元での対立を生んでもいるのです.たとえば,サライェヴォで皇位継承者夫妻が大きく取り上げられ,彼らを殺した「テロリスト」にはテロリストとしての扱いしかなされていなかったことと対照的に,わたしの暮らすベオグラドで主に記念の対象となっていたのは暗殺者であるガヴリロ・プリンツィプの方でした(状況はスルプスカ共和国でも同じだったと聞き及んでいます).

 サライェヴォでの様々な式典のメッセージは明確でした.それは強いヨーロッパ志向です.「ヨーロッパの心」という看板があちこちに掲げられ,現地語・英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語が併記され,そして深夜に行われた音楽劇では,ホロコーストへと至るヨーロッパ史の文脈の中にサライェヴォが位置づけられます.大戦争の引き金として.一方でベオグラドなどでは暗殺者プリンツィプが英雄とされ,彼の事蹟は民族解放の戦いの中に位置づけられるのです.「平和」を謳う式典は,なるほどヨーロッパ的な,「普遍的な」メッセージは備えているでしょう.しかしそれは同時に,ボスニアに未だなお走る民族間の分断を,より鮮明にしたように思えました.

ゲイ・パレード

 9月28日には,ベオグラドでゲイ・パレードが厳戒態勢の中行われました.どのくらい厳戒態勢かというと,パレードの行われる通りがすべて封鎖され,その通りに続く通りも警官隊(ジャンダルムが大量に投入されていました)に埋め尽くされ,パレード参加者と報道関係者しか入ることを許されなかったようです(「わたしはこの辺りに住んでいるんだけど,いつ封鎖が解除されるの?」と警察に尋ねているひともいました).通り道の間近にある美しい教会,聖マルコ教会にも警察官が配備されていましたが,そのすぐそばでは,厳重な警備の前でささやかな反対デモを行う人びとの姿がありました.

 若い聖職者たちが中心となって,イイスス・ハリストスのイコンを掲げ,ゲイ・パレードに反対しています.彼らは何度も十字を切っては聖句を唱え,聖歌を歌っていました.そのほかには,「ソドミー」などの言葉で同性愛を貶める垂れ幕を持ったひとたちが,「青少年の健全な育成のために」立ち上がっていました.

 わたしの気分を最悪にさせたのは,そのすぐ横,LGBTの人びとが権利を求め行進し,彼らの権利を阻もうとする人びとが抗議行動を行っているすぐその横で,結婚式が行われていたことでした.

 花嫁さんはとても幸せそうです.青い空の下,華やかな聖マルコ教会で挙げる結婚式.この日でなければわたしは心から祝福していたことでしょう.この日でさえなければ.

 もちろん,新郎新婦に罪があるわけではありません.わたしが憤っているのは,対抗デモを行っている聖職者たちにでした.おそらく,彼らも聖マルコ教会に所属しているのでしょう.自分たちの教会で,幸せそうな異性カップルが結婚式を挙げるまさにその日に,どうして彼らは同性カップルが同じささやかな幸せを願う権利に反対できるのでしょう? その対照的なふたつの光景は,異性愛者が有している特権,あるいは根強い同性愛差別の存在を,強く示しています.アンチゲイな落書きはまだ街中でよく見かけますし,人びとの口からホモフォビックな発言が飛び出すことも珍しくはありません.紛れもなくそれこそが,セルビアの抱える大きな課題の一つです.

プーチン訪問

 10月にはロシアのプーチン大統領が訪塞し,16日に大規模なベオグラド解放70周年記念軍事パレードが行われました.詳しくは以下のブログでも分析されていますが,わたしなりに観察した結果を書いておこうかと思います.

 南東欧戦略環境分析局blog プーチンのセルビア訪問

 上記記事でも指摘されているように,「コソヴォセルビア,クリミアはロシア」と書かれたTシャツは売られていました.ええと,あなたたちはコソヴォの一方的独立宣言を国際法違反だと主張していたのでは? 結局のところ「固有の領土」というロジックなのでしょうが,「コソヴォの独立は国際法に反する」ならともかく,こんな主張が広く受け入れられる可能性など皆無でしょうに…….ちなみに下で売られているTシャツの髭もじゃのおじさんは,かつてのスルプスカ共和国大統領であり現在ハーグで戦犯として裁かれているラドヴァン・カラヂチの逃亡中の姿です(シャツに書かれている「ダビチ博士」は,カラヂチが潜伏中に名乗っていた偽名).この土産物屋は以前からチェトニクの首領ミハイロヴィチのグッズを売ったりしていて,政治的傾向がとてもわかりやすいですね.

 街中にはセルビア急進党が大喜びでポスターを貼ってまわっていました(そういえば,急進党党首ヴォイスラヴ・シェシェリの釈放もまた,大きなニュースの一つですね).以前紹介した選挙戦のポスターと同じく,ロシアの青年組織「ナーシ」のマークも入ったものです.新聞にはロシア語の表題を掲げてプーチンを歓迎するものもあり,パレードへと至る道ではプーチン・グッズやロシア・グッズがたくさん売られていました.写真はピンバッヂ売りの女性です.

 パレードの見物にはたくさんのひとが詰めかけましたが人数の割に入口が少なく(まあ金属探知機があるので仕方ないのかもしれませんが……)明らかに列が捌けておらずというか列がろくに形成できておらず,圧死者が出てもおかしくなさそうな惨状でした.身分証を提示せずとも入れたのはありがたいのですが,コミケスタッフの列形成のノウハウは真面目に輸出産業として検討されてもいいように思います.そしてこういう垂れ幕を掲げる人びとも.

 左側がセルビア,右側がロシアの国旗で,中央には「プーチンに栄光!」と書かれています.セルビア人に親露派が多いのはよくわかるのですが,プーチン人気がここまでとは思っておらず,「セルビア人がロシアを好きなのはよく理解できるが,なぜプーチンを好きなのかは理解できない」とパレードに行かなかった知り合いに言ってみたところ,「彼はすごい指導者だから」というような趣旨のことを熱弁されました.もちろんわたしもロシアという国,ロシアの文化は大好きなのですが,ここまでの熱狂は未だにわかりません.きっとこの「わからなさ」が,わたしたちが外国について知りたいと願う理由であり,学ぶべき意義なのでしょう.

 会場の外にはこんなプラカードを掲げる老人も.この老人は尋ねたら快く写真を撮らせてくれたのですが,別の老人からは「お前はオバマプーチンのどっちが好きなんだ? 答えられたら撮っていいぞ!」と言われました.「いや,わたしはアメリカ人でもロシア人でもないんですけど?」と言ったところ「そんなの関係ねえ」と言われたので撮らずに帰ってきましたが,まさかそんな二択を突きつけられる機会があろうとは思いませんでした…….他の東欧諸国では,ナショナリズムは反露と結びつくことが多いのですが(ポーランドなどが典型),セルビアナショナリズムが親露と強く結びつくことは(歴史的経緯から納得できるものの)興味深い現象ではないかと思います.

ヤパニザム2014

 これらの出来事ほど大きくはないですが,7月には「ヤパニザム」(「ジャポニズム」の意)という日本文化イヴェントが開かれ,まるでコミケSF大会のような熱気を感じ取ることができました.スペースオペラについての座談会なんてものが企画されていたり,日本風の絵を売りにしているイラストレータがブースを出していたりと,大盛況でした.もちろんコスプレの方々もいて,シェリル・ノーム巡音ルカなんかも見かけましたが,やっぱり一番多かったのはこの作品.

 駆逐してやる!