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久しぶりの更新

 お久しぶりです.1年間も更新をサボっていたというのは申し訳ない限りです.

 1年間のあいだに,色々なことがありました.まず,セルビアでの留学を終えて本格的に日本に帰国しました.今後は日本を拠点に研究していきます.関東在住の研究者の皆様,よろしくお願い申し上げます.

 次に,前の記事で予告していたセルビアクロアチア語の論文が出ました.書誌情報は,“Коријен идеје црногорског језика: Језичка идеологија Војислава П. Никчевића у социјалистичкој Црној Гори[モンテネグロ語理念の起源――社会主義モンテネグロにおけるヴォイスラヴ・P・ニクチェヴィチの言語イデオロギー],” Studenckie Zeszyty Naukowe Instytutu Filologii Słowiańskiej UJ [ヤギェウォ大学スラヴ学研究所学生研究紀要] 9 (2016): 101-107です.

 ページ数からわかるようにかなり短く当然査読もありません.この号は一昨年に参加した学会のプロシーディングみたいな感じですね.3月15日にメールを送ってきて投稿希望者は3月末までに原稿を出せと言われ泣きながら仕上げました.最低でも投稿呼びかけから締め切りまで1ヶ月くらい時間をもらえるかと思っていたのですが要するに「論集出すことはわかってるんだから当然原稿の準備はしてあるよね?」ということなのだろうと思います.慢心していた自分が悪い,ということで,次からは気をつけます…….しかしゲラのチェックすらさせてもらえず気がついたら刊行されていたので,編集段階で単語と単語のあいだのスペースが削られちゃったりしています.これは向こうの責任でいいんですよね……?

 ドイツの雑誌に英語で書いたりポーランドの雑誌にセルビアクロアチア語で書いたりと,業績欄がよくわからないことになっていますが,次はぜひともセルビアモンテネグロの雑誌にセルビアクロアチア語で論文を載せることを目標に頑張りたいと思います.

クラクフの国際学会で報告しました

 ポーランドクラクフにあるヤギェウォ大学スラヴ文献学研究所(Instytut Filologii Słowiańskiej Uniwersytetu Jagiellońskiego w Krakowie)で開催された国際学会“Słowiańszczyzna, którą trudno zmienić: Stereotypy, przekonania, wyobrażenia[変わることの困難なスラヴ語圏――ステレオタイプ,信念,認知]”での研究報告„Crnogorski nacionalizam naučnog dijela Vojislava P. Nikčevića u socijalističke vrijeme (1970-ih i 1980-ih)[社会主義期におけるヴォイスラヴ・P・ニクチェヴィチの学術的著作にみるモンテネグロナショナリズム(1970-1980年代)]“が,先日無事に終わりました.ICCEES以来の国際学会参加になります.ICCEESが日本で開かれ英語が公用語だったのに対して,ポーランドで開かれ公用語ポーランド語というのが不安だったのですが,蓋を開けてみれば参加者の半数以上にセルビアクロアチア語が通じたため(というか,過半数の報告がセルビアクロアチア語で行われました),非常に過ごしやすい環境でした.非スラヴ人の報告者は一人だけだったこともあり,研究所のMagdalena Dyras教授からは「(来てくれて)ありがとう」とおっしゃっていただけるなど,参加してよかったと思います.今後は,報告原稿をもとにしたセルビアクロアチア語論文の執筆に力を注ぎたいです.

ICCEES第9回世界大会で報告しました

 先月初頭に幕張で行われた国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)の第9回世界大会に参加し,報告者と討論者を務めました.

 報告は「民族形成と社会主義的民族――1980年代の社会主義ユーゴスラヴィアにおける『オ・エトノゲネズィ・ツルノゴラツァ』をめぐる論争」と題し,英語で行いました.討論者のタチアナ・アレクシチさんとクラウス・ヘルマニクさんに感謝申し上げます.わたしの議論の危うい点を糺していただけたのは本当にありがたい限りです.今後の研究に活かしていきたいと思います.また,同じセッションで報告したリュボミル・ポジャルリエフさんには面白い話をいくつも聞かせていただきました.ありがとうございます.

 また,セッションII-3-5「旧ユーゴスラヴィアにおける大衆文化」で討論者を務めました.とはいっても,旧ユーゴスラヴィア関連の参加者の中にキャンセル者が目立ち,セッションの統廃合が行われた結果として(その少ないセッションの時間が少なからず重複していたことは非常に残念でした),実質的には1940年代後半から1950年代前半にかけてのユーゴスラヴィアソ連関係史セッションとなっていました.リチャード・ミルズさんのサッカーとナショナリズムを扱った報告も,木村香織さんの反ティト派亡命者の報告も,どちらも非常に興味深かったです.討論者を務めるのは初めての経験だったもので,拙いコメントになってしまったかもしれませんが……

 アレクシチさんからはわたしがセルビア奨学金を得られたことへのお祝いの言葉をいただいたり,ミルズさんやヘルマニクさんには,セルビア語での会話に応じてくださったりセルビア語で言ったことを英語に訳していただいたりと(何度か,セルビア語の単語が出てきても英語が出てこないことがありました……),久々の帰国で戸惑うわたしにとって得難い心遣いをいただきました.木村さんとは久しぶりに日本語でユーゴスラヴィア史に関する議論をすることができました.その他,会場でお会いし,お話をさせていただいた皆様に,心から感謝を申し上げたいと思います.

 今後の学会参加の予定ですが,再来月にポーランドクラクフで開催される若手スラヴ学者の学会に参加しセルビア語で報告する予定です.ただし受理の連絡は来たもののまだプログラム等が送付されていないので,あくまで予定ですが.